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| 地元紙に連載しているエッセーです。 |
| ■ 食の都庄内(1) | 〔2002年6月15日号〕 |
| 庄内を離れるたび、この街の良さや価値が見えてくる。鶴岡で生まれ、料理修業のためこの地を離れ、8年前に鶴岡に帰って来た。いつの時代もぼくは、この土地に魅せられている。 2年前、ぼくの夢と庄内のおいしい食材をいろんな人たちに知ってもらいたいという願いから、庄内弁の「あ〜、そういえばこんな食べ物あ〜るけっちゃの〜」をもじった「アル・ケッチァーノ」というイタリアンレストランを3人の仲間と開店した。調理場のガスコンロは火がチョロチョロとしか出ない25年物、メニューはコピー用紙に手書き―等々「ボロは着てても心は錦♪」という歌通り、ないないづくしの不安なスタートであった。 当時は食材も全然集まらないためにメニューは少なく、理想だけが空回りしていて以前の味わいをつくりだすこともできず、店のはずれの“地場イタリアン”の看板が、冷たい風の中とてもさみしそうだった。そんなちっぽけな店の夢と味を信じてくれたお客様や生産者の方々が、いろんな人と食材を紹介してくれたおかげで、今では庄内中から良質な食材がうちの厨房に集まって来るようになった。 最近、ぼくたちを支えてくれた生産者や農家の方にちょっとしたことをしている。それは生産者と東京のレストランの橋渡し役になることだ。職業柄いろんな土地でいろんな食材を[見て][触って][食べて]きたぼくは、庄内のんめもの≠フ価値がよく分かる。それを畜舎や畑を離れられない生産者に代わって、良質の食材を求めている料理人のいる店に紹介しに行くのだ。両方の事情をよく知っているので双方の質問にも答えることができ、スムーズに事が進む場合が多い。 こうなったのは、ある生産者との出会いが始まりだった。羽黒に丸山光平さんという羊を飼育している方がいる。15年前には12戸いた羊の生産飼育農家も、今ではこの方だけとなってしまった。 ある日、常連さんがその肉を持って来てくれた。口にした時、今まで出会ってきた羊とは違う繊細な味にビックリし「使いたい」と強く思った。その素材の生きている環境、えさ、作り手の思い入れを知らないと奥行きのある料理を創り上げることはできないので、秋雨の降る寒い日に丸山さんと羊に会いに行った。丸山さんの話では「羽黒には草地が約200ヘクタール、減反約800ヘクタール、せっかくの良い土地も何もしないのではもったいない。羊は餅、大豆のくずなども食べてくれるのでゴミの減少につながる。フンは堆肥に使う。さらに癒しの力もある!いつか昔のように羊飼育の生産基盤があるこの羽黒で、飼育農家を増やし、この土地のために頑張っていきたいんだけど、近年売れ行きが伸びないのでこれから先どうなるか分からない」とのことであった。ぼくが開店当初に理想と現実の中でもがいていた時の気持ちと一緒だった。「この貴重な資源、羽黒の羊を絶やすわけにはいかない!」と思ったぼくは、いろいろな要素・可能性を考え、料理専門誌や雑誌によく取り上げられる有名店東京・広尾の「ACCA(アッカ)」というイタリアンレストランへ飛び込みで羊肉を持って行くことにした。最初は、どこの馬の骨かも分からないぼくに、そっけない店の人たちだったが、肉を食べると態度が変わった。うちの店と小分けして使うこととなり、早速メニューに載ることになった。しばらくすると仕入れ量が倍に増えて、ACCAの看板料理にまでなった。さらに、すっかり惚れ込んだシェフは、とうとうスタッフを引き連れて羽黒の羊舎に訪ねて来てしまったのである。 秋の寒い日、ほっぺたの赤い丸山さんに紹介してもらった羊たちが“シンデレラ”になった!とてもうれしかった!いつの日か「ACCA」の羊料理がメディアに紹介され、多くの人が羽黒の羊に注目すれば、需要が増える。生産・消費基盤ができればいろんな形で地元へも還元できる。そこからいろいろと拡がっていく可能性もある。丸山さんの夢も叶うかもしれない!ぼくの世界も丸山さんのおかげで拡がった。おいしいものは人を動かす力がある。私が暮らす街「庄内」には、こんな食材がまだまだ山のようにある。 |
| ■ 食の都庄内(2) | 〔2002年8月15日号〕 |
| 恐怖の季節が今年もやって来た。この時期庄内は、1年で一番賑やかで華やかなときを迎える。 いろんな顔の人たちがいろんな所から、庄内の夏を目指してやって来る。 この時期目指して、うちの契約農家の恵子さんも、コツコツといろんな野菜を蒔いてきてくれた。畑の中ではキュウリ、モロヘイヤ、トマトなどの夏の顔が、夏バテ気味のぼくを元気に迎えてくれる。昨日の朝までかわいかったナスやズッキーニも、夏の陽を浴びてはちきれんばかりのグラマラスな姿になって、毎朝ぼくに迫ってくる。照り返す日差しの中、パワフルな夏野菜たちの力をもらって頭の目が覚める。 魚屋さんへ行けば甘鯛、岩ガキ、イガイなどの庄内浜の夏の顔が、潮の香りを漂わせて涼しげに所狭しと並んでいる。産直ではメロン、スイカ、夕顔などの大きな体の瓜科の一族がカラフルな夏野菜たちの中、場所をとって偉そうに鎮座している。 ぼくたちの先輩たちが特産品にしてくれた岩ガキ、ダダチャ豆の王様に交じって、庄内の海・山・川からものすごい種類の「んめものたち」が一斉に押し寄せてくる恐怖の季節である。 修業時代から、毎月のおこづかいを料理本に充てていたぼくも、最近メッキリと本を買うことが少なくなってしまった。料理専門誌ではイタリアやフランスの生産者が特別視されている。きれいなグラビアになって載っている異国の畑・漁場・食材、楽しそうにアップで取り上げられる食材作りの名人たち…。でも庄内の多くの生産者たちも、負けず劣らず同じような世界観と独特のこだわりをもって、この地で「んめもの」を作り続けているのだ。 おいしい食材を作っている人たちとは話が弾み、ついつい時間を忘れてしまう。現場での生の声は、本を見るよりはるかに勉強になる。本と違って分からないことは、質問だってできてしまう。ついこの間までワクワクして見ていた本の中の憧れの世界がふるさとにあること、帰郷してから8年目にしてやっと分かってきた。 ぼくが修業を始めたバブルのころは「開発」「発展」を合言葉に日本中が前に向かって走っていて「田舎」=時代に取り残された所という雰囲気があり、出身地の話になると小さくなっていた自分がいた。しかし「スピード」「発展」「利便性」を追い求めた多くの街は、リトル東京になって強いものに前ならえしてくっついていってしまった。庄内は運良く?そのころ、「陸の孤島」といわれ、ほかの土地の文化があまり流入してこなかったため、日本のどこにでもありそうでいて実はなくなってしまった、素朴な風景、自然、生態系をあまり失わずに済んだ。 ある日、家に帰ってテレビを付けると、黄色と赤い色をした北海道以南の日本列島地図が目に飛び込んできた。人工衛星から計った日本列島のエネルギー排出熱量だと解説者は言う。温暖化のひとつの原因として問題視していた。でも長野県、山形県とその周りの一部の地域だけが緑色をした昔のままの涼しい姿で残っていた。なんだかうれしかった。今年度の全日本ポスター大賞では「田舎がこれ以上発展しませんように」という作品が選ばれた。どうやら21世紀は自然、文化、人が共有している地域を求めているようだ。 先日、世界的な流れの「スローフード」についても触れているベストセラー本の著者・辻信一先生と語り合う機会に恵まれた。庄内のいろんな人、自然、食を体感した先生は、要約できないほどのこの土地のすごさに感動し、興奮していた。「庄内だけで一冊の本が書ける。友人の坂本龍一さんにも庄内を紹介する」という。ぼく自身、故郷の力にとてもビックリすると同時に、この土地でぼくを産んでくれた両親にも感謝した。 それらの点と点をつなげて、複合体としてのひとつの形ができたとき、出羽三山の歴史と自然に育まれてきた極めてまれな地域、ここ庄内が「取り残された街」から、きれいなグラビアにも載るおいしいおまけ付きの「時代が求める街」に化けていろんな人たちを呼び寄せることができるだろう。 |
| ■ 食の都庄内(3) | 〔2003年1月15日号〕 |
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庄内で古くから作られてきた在来野菜のルーツを探るため、関西方面へ勉強に行ってきた。今回の旅は、テーマ以外にもいろいろなことをぼくの中に語りかけてくれた。 京都の台所、錦市場の八百屋さんの店先には『忘れられない味 山形産ラ・フランス 安全です』などの札が、いたる所で目に入り込んできた。まだこの問題は日本の心の中に残っているようだ。でも、ワインの大名産地のボルドー、世界有数の塩の品質を誇るゲランドなども、今回の無登録農薬問題のような大打撃を乗り越えて確固たる地位を築いていった。問題がある反面、果樹王国山形に対する関心度も今は高い。何かできないものかなぁとラ・フランスの前で思った。 何軒かの八百屋さんに入ると、数種類の京都伝統野菜が金色のブランドマークを付けて、きれいに並んでいた。口に含んだその味は、おしとやかでしおらしい、育ちのよい野菜たちだと感じた。頭の中ではあつみカブ、民田ナス、うど川原キュウリなどの在来野菜のやんちゃな味が浮かんできた。味の構成図は正反対。山形は京都の次に在来野菜の多い所。その中でも庄内は数多くの品種を生産していたが、20世紀の規格大量生産の流れの中で、ここ最近姿を見せなくなったものが数多くある。先祖代々受け継がれてきた土地に根付いた、いろんな形の名タレントたちが庄内から消え、昔ながらの味を後世へ伝えられなくなるのはとても寂しいことだ。南庄内は、「西の比叡山 東の羽黒山」と言われていた信仰の歴史がある。それにクロスオーバーして、今注目を浴びている西の京野菜に対して、だだちゃ豆率いる東の庄内野菜になれるんじゃないかなぁと思った。 帰りの飛行機の窓からは、信仰の山比叡山、食材の大名産地の丹波、若狭湾、地下水に取って変わった水源地の琵琶湖など、食の都京都の背景にあるものをぼくに見せ、そして考えさせてくれた。 帰ってきてから、在来野菜や庄内の食の本をしらみつぶしに読みあさり、在来野菜に詳しい人や農家の人の話を聞いた。なくなったと聞いた在来野菜が出てきて歓喜しながら、清兵衛の気持ちになって食べた。いろんな情景が浮かんできて、未知の世界に挑戦してみたいと思った。 雪が深々と降り積もる、しっとりと落ち着いたある日、『庄内の味』に何度も登場し絶賛されていた、今は亡き著者の感じた風景を見に、金峰山麓の東の集落へ行った。赤い橋の架かる社を過ぎて人里を抜けると、雪深いすごい景色が現れた。母狩の山裾に広がる段々のミョウガ畑、サクランボの木、小高い丘の柿畑、小川の横の雪化粧をした竹林、すべてが幻想的だった。この雪に埋もれた大地が、春になったらどんな食材を産み出すのだろうと思った。 白いキャンバスに、著者の訪れた季節の絵を頭の中で描きながらふと思った。庄内で出会ってきたさまざまな食材、長い間に伝わり残ってきた在来野菜、昔も今もこれからも食通を魅了し続ける土地、すべての物を一つの絵に描いて『食財王国庄内』になれれば『果樹王国山形』の農薬問題も雪解けを迎えられるのではないか。 雪が解けたら、この庄内はどんなすごい物を産み出すのだろう。孟宗のおいしい季節になったらまたここに来て、いろんなことをたずねてみたい…。 今から春が待ち遠しい。 |